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久しぶりに更新してみました。

読書感想文のようなもの…なのだろうか。
多分にエッセイ的な要素が強くなってしまったので、
短編小説と区分けして置こうかな、と思ったのですが、
まぁフィクションとして読んでいただくのもありかな、と。
読んだところで、「きらきらひかる」がどういうストーリーなのか
全く分からないところが我ながら素敵。
宿題として提出したら大きなバツを貰えそうですね。
というか、先生がびっくりしちゃうでしょうね。こんなの提出したら。

以下、どうでもいいつれづれ話。
宿題といえば、中学校の頃国語で「詩を書く」という授業があって、
とはいえ別に何か定型詩にしろとか技法がどうこうとかそういうのでもなく、
単にほったらかしにされて「詩が出来たら先生のところに見せにきなさーい」みたいな
ものすごく適当な時間だったんですよね。
当然のことながら、みんな「詩なんか書けるかよ、恥ずかしい」みたいにちょっと
照れていて、私は私で「詩?はぁ?」とハナから馬鹿にしていたのですけど、
少しだけ黙ってじっとノートに向かってみると、
そこになんだか可能性のようなものが潜んでいることに気がついたのです。
掘り出されるのを待って、胸の奥深くに眠っている、言葉の原形のような、
かたちにならないもやのようなもの。
時間のない場所で静かにたゆたっているもの。
それをどんな風につかみ出せば良いのかわからなくて、悪戦苦闘しながら、
ノートになんとか言葉を並べていく。
初めての感覚。
少し照れながら、「こんなの別に真剣になんか書いてない」ってそぶりで
出来上がりを先生に見せに行くと、先生はすこし目を細めて、「ふうん」と言ったのでした。
40代半ばの恋多き、能天気な女の先生。

後日、その先生が担任をしているクラスの友達から、
「今日先生に、○○さん(わたくし)ってすごく繊細なのね、って言われたから否定しといたよ」
……と言われた。
私も笑って答えた。「繊細なんかじゃないよねぇ」って。

言葉を並べていくことについて、可能性を見出したのは、それが最初だったかもしれない。
その後高校時代に私は狂ったように無茶苦茶暗い詩を書きまくるのですが、
それはもうものの見事に全部消してしまったので、全然残っておりません。
泣きながら書いてた。というか、書いてないと消えてしまいそうで怖かった。
やっぱり私の頭はおかしかったんだなぁと実感する、のほほんとした近頃の日々。

何かを書く(あるいは描く)ことなんて立派なビョーキの証拠で、
でも新都社はそういうビョーキであることを前提としたコミュニティなので、
なんだかいつもすごく許された気持ちになれます。
私なんか大したビョーキでもないようだけど。

でも「そうすること」でしか超えられない季節って、きっと誰にでもあるのですよね。
何かあると猛烈に文章というか、言葉を並べ立てまくるようになるので、
ある意味充実しきっていたあの混乱の日々も、思い返すと愛おしいです。

今日は本当に思いついたままだらだら書き。

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